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入江健太と申します。今はアメリカの2年制大学でパイロットを専攻として勉強しています。
安藤:飛んだのっていつだっけ?
飛んだのは、去年の8月です。高校を卒業して、その年の8月に飛びました。
安藤:日本の受験はどうしてしなかったの?
その時点でアメリカの大学に行くって決めていたので、視野には入れていなかったです。
TOEFL=海外大学への勉強にシフト。4回受けてスコアを2倍に伸ばす

安藤:周りのみんなが日本人のときって日本の大学に行くのが普通というか…。みんな受験勉強しているなか健太は…。
自分は夢カナ留学でひたすらにTOEFLのための勉強を、アメリカの大学に入るための勉強にひたすらフォーカスしていました。
安藤:TOEFLやったことない時を思い出すと…。
最初TOEFLを試しで受けたときに、120満点中15点という点数を取って…。
親にも呆れられて、「1年以上かかるんじゃない?アメリカの大学入るのに」っていう感じになって、どうしようって感じでしたね。めちゃくちゃ不安でした。
安藤:留学をするって決めてから1年ぐらいで留学できたんだよね。一番最初のテストが15点。何回TOEFL受けたんだっけ?
4回ですね。
最初15点から始まってヤバいと思って勉強したら20点に上がったんです。
3回目に受けたら15点に落ちてて、そこの時点で「浪人みたいな感じに1年間なっちゃうんだろうな」って思っても諦めずに、親にも背中押された状態で受けた4回目で、ギリギリアメリカの大学で必要な47点を取ってクリアして…!
安藤:倍以上の点数を急に上げたじゃん。TOEFLの3回目から4回目に移る期間って?
2ヶ月ぐらいですね。
安藤:健太は英語の授業を本当とってて、一番勉強した2ヶ月だったよね。
スピーキングの授業を主にフォーカスしてやっていただきました。TOEFLにおいても、4つの単元があって、その中のスピーキングがよくとれて!
ライティングとリスニングも結構伸びやすかったので。
安藤:スピーキングが一番上った感じ?
スピーキングが一番上がりました
安藤:スピーキングが上がったのはどうして?
日本ですけど夢カナ留学でマンツーマンで受ける授業をやって、ひたすらに英語をできるだけ話す環境を作ったおかげかなと。
海外大学の授業についていくためには

安藤:具体的に海外大学に進学する子が増えてきているけど、これから海外の大学を目指す子たちが一番心配しているのって、まず海外の大学に入れるのかよってことだったり、入ってから授業ついてけるのかな、成績、落第しちゃうんじゃないかなとか。
健太の場合は入るための関門をクリアしたわけで、実際パイロットの授業を受けているわけじゃん。
どんな勉強を日本でしておくべきか教えてほしい!
夢カナ留学で特に勉強したのは、アメリカで基本となるスピーキングと、あとリスニング。
そこは聞けなきゃ意味ないし喋れなきゃ意味ないし。
特にアメリカの大学はディスカションが多くて、そこに関しては夢カナ留学で伸ばせるところまで(日本で)伸ばしたかなと。
他の留学エージェントじゃなくて、夢カナを選んでくれたワケ

安藤:健太の場合は異色なやり方で、元々うちじゃない留学エージェントで1回申し込んでて、それでもうちに来てくれて。それはなんで?
そこの留学エージェントの授業スタイル、勉強する内容が本当にこのまま留学してアメリカでスムーズに喋れるのか、通用するのかめちゃめちゃ不安になっちゃって。
その時の授業は集団で、講師が外国人で、日本語を喋っちゃだめっていう授業だったんですけど、
やる内容というか、周りもしゃべれない同士ですから何喋っているかわからないですし、全然お互いが伸びないような授業でした。
安藤:どんな内容だった?
中学生の文法、本当に簡単なやつというか。Hallo? I’m fineみたいな?結構ひどかったですね。
なんでこっちに来てくれたんだっけ?
カズさん(安藤)に出会って、そこの留学エージェントで教えてくれなかったアメリカの情報だったりとか、カズさん自身もアメリカの大学の卒業生だから信用できるものもあったし、
改めて話を聞いた時、このままじゃ通用しないんだなって思ったのでこっちに切り替えて。
安藤:僕たちが事前に伝えてた情報と実際にアメリカで授業を受けたときのギャップってあった?
さすがにやっぱりアメリカだし、全然とは言わないけど予想より難しかったし、いきなりプレゼンテーションをしたり。
みんな英語を喋れる人で、英語を喋れるのが当たり前の世界でやらないといけないときに、日本と授業との違いを感じましたね。
安藤:その練習(海外での授業対策)を日本でやっていなかったら…
ひどかったと思います!
授業ついていけてます。
でも、航空学は専門用語がたくさんあるからそこは勉強しなきゃいけないです。
留学を決めたワケ

安藤:健太くん自身が留学をしようと思ったきっかけは?
一番の目標として、パイロット。世界で通用するパイロットになりたいなっていう思いで
留学を決意しました。
安藤:なんで日本じゃだめなの?
英語をマスターしないと世界で活躍できないというか、世界を通して飛行するってなかなか難しいと思うので、まずは英語を身に着けようと思って留学を決めました。
安藤:それを実際に実行に移すまでって、親の反対だとか先生の意見でぶれちゃうと思うんだよね。日本の専門学校行ったりとか。
健太の場合はブレなかったよね。
やっぱりアメリカは飛行機の最先端。技術が発展している場所でもあって、
もともとの性格からというか、自分は周りと違うことをしたいという考えが強かったので、自分はこれがしたいと決めたんだったら、それを突き通すような性格だったからっていうのがありますね。
安藤:実際にアメリカに行ってみて、思っていた理想と現実のギャップってあった?
理想とは違いましたね。
現実、ほんとにアメリカって自分一人で。自分を持ってないと生きていけないような世界なので、そういうところでは日本にいたときカズさんに言われてピンとは来なかったですけど、実際にアメリカ行ってみて結構大変でした。
安藤:どういうところが大変?
自由な分、自分でなんとかしなきゃいけないことがあって。
例えば車を買うにしても、自分で交渉して値切ってだったりとか、
学校も、カリフォルニアの大学からアリゾナの航空の学校に移ったんですけど、自分で学校のオフィス行って、これをしたいといって連絡をとってとか
全部自分でしないといけないのでそういうところが大変だなと思いました。
安藤:それって、日本の環境、誰かしら助けてくれる環境だと生まれない主体性という部分だよね。
自分から何かしないと何も進まないのがアメリカみたいな。
そうですね。
アメリカでの学生生活

安藤:一日のタイムスケジュールは?
朝10時ぐらいから学校が始まって、昼の二時に終わりまして。
その後は宿題を図書館とかで勉強して、帰ってジム行って寝る、みたいな日常ですね。
安藤:特別な出会いとかある?刺激を得たみたいな。
日本人の友達とは違って、アメリカ人の友達って自由というか。
アメリカと日本の価値観のギャップで喧嘩しちゃったとかもあったし。
喧嘩したからこそ仲良くなったもあるし、英語はもちろん、たくさんのことを学びました。
安藤:まだ運転はできてない?
運転はまだできないです。次のセメスターからできるようになります。
安藤:いま何セメスター経った?
そこのアリゾナの学校行き始めてからは2セメスター目ですけど、全体では3セメスター目です。
安藤:1セメスターだいたい3~4ヶ月ぐらいだよね。じゃあ1年ちょっとで運転できるんだ!
まあ僕みたいに遠回りしなければ…
焦っちゃだめ。一歩一歩。

安藤:遠回りした?
遠回りしました。
まず入れる学校を見つけて、アメリカの環境を知って…。
自分でも思いますけどやっぱり、焦っちゃだめだなって。
一歩一歩なんで。
全部なにか乗り越えたらその次に壁が出てくるので、焦ってもしょうがないなと思います
安藤:どう?日本のみんな焦っている感じある?
まあないですね。
日本の大学の状況はわかりませんけど、難しいことはしているんだろうなと思ってます。
安藤:SNS見ると日本人の友だちエンジョイしている画像が出てくるけどそういう時どう思う?
自分で決めた道なので。夢を果たせたあとに遊ぶので、そこは大人っぽくいます。
安藤:今何歳?
今19です
安藤:まだ20歳にもなってないんだ。でもしっかりしてきたね
一番最初に会った2年以上前の、高校生の時って、
「夢すっか?」って。
強い思いがあったんだろうけど、そこに対しての道筋が立てられてない状況だったんだけど。
一歩一歩です
安藤:英語もびっくりするらいのレベルで。be動詞って何ですかっていうレベルで。
ひどかったですね笑
安藤:ネイティブと話してもらったんですけど、英語脳になってるんだろうなと。そうじゃないと授業ついていけないよね
これから長期留学を考えている人へのメッセージ

今もし自分が少しでも留学をしたいと考えているんだったら、決意したほうがいいかなと思いますアメリカでもカナダでもオーストラリアでも、留学することって自分をすごく大きく成長できるし、自分の価値観も変えることでもあるし。しかも英語を伸ばせて…。
もちろん辛いこともあるけど、それに比べたら、比べものにならないくらいの価値があると思うので、やっぱりしてもらいたいですね。
行かないとわからないところもありますし。
安藤:アメリカはズバリどんな場所ですか?
いい意味でも悪い意味でも自由です。

1992年生まれ。京都府京都市出身。2011年5月〜2014年6月の3年間、アメリカのカリフォルニア州サンディエゴに留学。帰国後は留学中に得た英語のスキルを使い、通訳・翻訳の仕事をしながら、プロボクサーとして試合に出場。2年半後の夢である “世界中の若者に夢を与える会社設立” のため、ファイトマネー等で資金を十分に貯め、2016年12月2日に株式会社Jstyleを設立。夢を叶える留学 “夢カナ留学”を設立して以来、年間100名の留学生が自分の夢に向かって世界へ飛び立っています。